中世史サマーセミナー、2日目の午前は、ホテルで中世武家文書や奥山荘の発掘調査に関する報告を聴く。
午後からは、奥山荘をさらに見学する班と、北の村上市方面の中世城郭遺跡を見学する班の二手に分かれて出発。
私はお城が好きなので、後者の班に参加する。さらに実家に近づいたな~と思いながらw
上杉氏の重臣・色部氏の居城跡。上杉氏が陸奥国会津に国替えとなるまでここにいたそうだ。
私の写真の取り方がまずいせいであまりよくわからないが、非常に広大で堅固な城郭で、幾つもの郭を持ち、まだまだ発掘の余地がある城だそうである。
次に行ったのは、大館遺跡である。
ちょうど今建設中の日本海自動車道の通路にあたるため、現在発掘調査が進められているが、その結果、3重の土塁と堀に囲まれた広大な城館であったことがわかってきた。
しかし、これほどの城館であるにもかかわらず、誰が城主であったか文献史料が乏しくて不明である。
だがおそらくは、状況証拠的に越後北部で強大な勢力を誇った本庄氏の館であったことはほぼ確実なんだそうである。
本庄氏は、出羽国庄内地方の武士とつながりが深く、上杉氏に対してしばしば反乱を起こした。
胎内市の南に位置する新発田市にいた新発田氏も上杉景勝に対して反乱を起こしているし、色部氏と言い、この地方の武士は相対的に自立性が高かったそうである。
本庄氏が戦国時代に築いた山城で、江戸時代以降も譜代大名の城となり、城下町村上は大いに栄えた。
戦国時代の城郭が、改造されながらも、近世に引き続き使用された例というのは、あまりないのではないか?
写真は、江戸時代に造られた石垣。
村上城を見学し、山頂から村上市街を一望した後、市街地に入って鮭を売っているお店に入る。
この地方の気候は独特で、このようにして鮭を発酵させる地方って、ほかにないんだってね。
もちろんおみやげで買いましたが、とてもおいしかったです。
3日目は、長岡市まで高速道路を使ってバス移動し、歴史博物館で所蔵文書や展示を見せていただき、そこで解散。
色部氏の起請文などもおもしろかったが(新潟県は起請文が多数伝来している地方でもある)、個人的には鎌倉幕府の執権北条貞時が発給した和与裁許の下知状を拝見できたのが収穫だった。
「和与」と言うのは、現代の裁判で言ったら、「和解」に近いのかな?訴訟当事者同士が和解したという意志を表す文書を作成し(和与状)、和与状を公権力が確認・承認したという判決文が、和与裁許下知状なのである。ほとんど鎌倉後期にしか見られない判決である。
海藻が麺のつなぎで入ってるんだって。
いや~、とても楽しくて勉強になった3日間でした。いろいろ準備や進行、説明をしてくださった方々、ありがとうございます。お世話になりました。




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